熊野古道星空ガイドのブログ

「海辺の熊野古道」和歌山県みなべ町で星空ツアーを開催するStar forestのブログです。

宇宙飛行士を夢見て

こんにちは。熊野古道星空ガイドの角田です。私は2021年度宇宙飛行士候補者選抜試験にチャレンジしておりました。が、本日残念ながら落選のお知らせがJAXAから届きました。今までどのような過程で宇宙を目指し、どのように感じてきたのか、せっかくなのでまとめておきたいと思います。

きっかけはアルマゲドン

まず、最初に宇宙に興味を持ったのは小学6年生の時に見た映画「アルマゲドン」です。もうとにかくかっこよくて、「宇宙に行きたい!」と強く思ったのを覚えています。

次に、中学1年3学期の理科のテストが宇宙の分野でした。私はこのテストで100点満点をゲットします。この年頃の少年の単純な思考回路は「僕は天文学の才能がある!宇宙かっこいいし宇宙飛行士目指そう!!」となるわけです。

この2つの出来事がきっかけで、その後の進路も今の仕事もすべて決まっていきます。我ながらこの経験だけを頼りによくここまでこれたな、と今ふと思いました。

 

高校・大学時代

高校では天文学が学べる大学をターゲットに、常にその学力が保てるように意識していました。JAXAが時折募集する高校生向けの宇宙実験の講座に募集しては落選するなどしていました。ただ、高校から始めたラグビーが楽しすぎて、宇宙が学べる大学には何とかギリッギリ入学できたって感じでした。

大学1年目には他の追随を許さないほど明確な目標を持っていました。それが「留学の資金を貯める」です。宇宙飛行士になるには英語が必須ですので、生まれも育ちも紀伊半島のネイティブ和歌山県民である私には留学が欠かせません。

そこで、居酒屋と家庭教師を掛け持ちしつつ、極限まで生活費を削って生きていました。週末は朝5時まで居酒屋で勤務し、そのまま家庭教師に向かうような日も多々ありました。今思うとこの時期は自律神経狂いまくってました。それでも留学したい!という気持ちのほうが強く、見事1年で留学資金200万円を自分で貯めることに成功しました。

この頃は大学生活で出会う人ほぼ全員に自分は宇宙飛行士を目指していることを伝えていたように思います。それを口にすることで自分のモチベーションも上がるし、ほんの少しだけ宇宙飛行士に近づいているようにも感じていました。バイト先では少し馬鹿にされるようなこともありましたが、基本的には応援してくれる人が大半で追いかけがいのある夢やなって思ってました。

 

運命のJAXA一般見学

そんな大学1年目生活の中で忘れられない日があります。あれは確か秋ごろだったと思うんですが(忘れてるやんけ)、珍しくバイトの休みを取ってJAXAの一般公開に出かけました。

その日はなんと、イベント会場でアメリカにいる星出宇宙飛行士とテレビ電話が繋がり、星出飛行士に直接質問ができるという涎でろでろイベントが開催されていました。もちろん、質問時に手を挙げるのは5歳~小学生ぐらいの子供たちばかりでしたが、そんな中で身長180cmラグビー体系の大学生が1人元気よく小学生にも負けない声で「ハイっ!!」って手挙げてました。司会の方もその圧力に押されたのか、ついつい私を当ててしまい、見事星出飛行士に直接質問することができました。(今思い出しても気持ちがホクホクする思い出です)

そこで、宇宙分野は今まで(その当時まで)物理学者がメインだったが、これからはどんどんそのすそ野が広がっていき、今は想像できない分野の人たちが宇宙飛行士になって宇宙開発に携わっていくんじゃないかといった話をしていただきました。

がしかし、忘れられない案件が起きたのはその後でして、宇宙飛行士が訓練するプールとかも見学できたのでブラ~っと歩いていると、普段訓練に携わっているJAXAの職員の方がいて、いろいろとお話聞くことができました。

その方は日本人で最上級ぐらい気さくな方で、宇宙飛行士に近づくような何かを得て帰りたいと思っていた私は「僕宇宙飛行士になりたいんですけど、学生時代にやっておいたほうがいいことはありますか?」的なニュアンスで質問しました。なんて聞いたかはっきりとは覚えてないんですが(忘れられない日なのに忘れていること多すぎ問題)、宇宙飛行士になりたい!という強い思いはあるのに、一体何をすれば宇宙飛行士に近づくのかが不透明で不安だったのを覚えています。

そこでいただいた回答が、「宇宙飛行士になるためには知識・体力といった基礎的な部分はもちろん大事だが、実は1番大事なのはストレスを自分で消化できる能力だ」ということでした。

宇宙は逃げ場のない閉鎖環境ですが、文化や考え方の異なる各国の宇宙飛行士と協力して作業を行う必要がある。当然、自分が思うように進まないこともあり、大変ストレスのかかる環境なのは言うまでもない。

地上であれば、様々な方法でそのストレスのはけ口を見つけて解消させることができるが、宇宙空間にはそんな都合よくストレスの解消先はない。なので、異文化の環境の中で発生するストレスを自分自身で解消する能力が実は1番大事で、それがないと絶対に宇宙飛行士にはなれない、とのことでした。

当時、宇宙飛行士と言えば、視力が良くないとなれない、虫歯があるとなれない、学力は医者級、体力はオリンピック選手レベル(←言い過ぎ)、的な感じで何も知らない人たちが良く噂していました。

ただ、この日を境に自分は何をするべきか、どういった能力を身につけるべきか、すっごくクリアになったのを今でも覚えています。そういう意味で忘れられない日でした!

 

いざ海外へ

1年で留学資金をたんまりため込んだ私は、カナダへの留学を決意します。大学は理学部でしたので、残念ながら留学での単位は認められず、休学して行くことになりました。1年休学する中で、カナダへの留学が半年。

残りの半年は何しよう?と考えた時に、JAXAの一般公開で教えてもらったストレス解消能力を身につけよう!と思い立ち、まず似たような環境を経験してみようと考えました。

そこで、兼ねてから少し興味のあった教育関係のボランティア団体に協力してもらって、ケニアで3か月間ボランティア活動をすることになりました!各国からボランティアが集まり、電気・水道・ガスがない中で目標に向かって活動をする、まさに宇宙空間にそっくりだと思いました。

カナダではよき友・よき教師に巡り合うことができて、本当に充実した日々を過ごせました。天性の楽観的思考も相まって、カナダ到着3日ぐらいでなんとなく「あ、英語いけるな」って思ってました。

それなりに英語喋れるようになって向かったケニアでは、まさに期待していたような環境での経験を積むことができました。社会問題になっているストリートチルドレンに対して教育を行うような学校で、生徒たちと寝泊まりしながら日々ワイルドな暮らしをしていました。

アメリカやヨーロッパからもボランティアが来ており、それなりにプロジェクトの中で意見がぶつかったりすることもあり、その度に「いいぞいいぞー!こういう経験しに来たんやー!」とか思いながら乗り越えていきました。

ケニアでの3カ月を経験したことにより、自分はどこででも誰とでもやっていけるんだという揺るぎない自信を得ることができました。そして、目標としていた異文化にぶつかることによる発生するストレスを解消する能力も随分身につけることができたと自負しています!

 

就職はもちろん宇宙開発分野?

1年の休学期間を経て、大学に戻りました。1年目はバイトメインの大学生活でしたが、世界を見ることで教育を受けられる有難みをひしひしと感じ、自分なりに懸命に天文学の勉学に励みました。

そのまま卒業後は宇宙開発の仕事に就いて、虎視眈々と宇宙飛行士になる機会を狙っていくんだと私自身も思っていました。そんな中で転機が訪れたのが大学3年の春。そろそろ就活始めるか~っていう時期でした。

細かい話は本筋から逸れるので省略しますが、なんとなく家庭の事情で卒業後は和歌山に戻らなあかんのか、えぇおい長男的な感じです。ただ、和歌山には宇宙開発に関わるような仕事はありませんので(というか大卒で募集しているような仕事もほとんど・・・)、和歌山に戻るということは宇宙開発への就職を諦めることを意味します。

この時期は人生で1番悩みました。考えすぎて食事がのどを通らないなんて経験したのは後にも先にもこの時だけです。これでけ本気で目指してきた宇宙飛行士を諦めるのか。いや、和歌山から宇宙飛行士を目指す道ももちろんあったんでしょうが、それまで本気で一途に目指していた自分からすると、それはもう諦めたに等しいと思っていました。というか、特に賢いわけでも運動神経がいいわけでもない凡人の自分がもし宇宙飛行士になれるとしたら、すべてをかなぐり捨ててでも宇宙飛行士に近づく努力を誰よりも続けていくことしか方法はないと思っていました。和歌山での就職はそうじゃないので、つまり宇宙飛行士は諦めるという選択になってしまう。

この時に私が出した結論は和歌山での就職でした。考えに考えた上で行きついた答えは「何を選択するかによって正解か不正解かが決まるわけじゃない」という考え方でした。どちらを選ぶかは大した問題ではなく、その選択肢を正解にするのも不正解にするのもその後の自分の生き方次第。ということは、現時点ではどっちを選んでも正解!というオプティミスト全開な結論でした。

ですので大学3年春までの自分とそれ以降の自分は、ハッキリ言って別人です。全力で宇宙飛行士を目指していたのは大学3年生までです。その後はその気持ちを心の奥底にしまい込んで生きてきました。時々奥底からその気持ちが「Hello!」って顔出すんですが、諦めた自分がその夢を語る資格はないとずっと思っていました。

 

就職と転職

その後地元企業に就職し、一応プラント設計的な仕事をしていました。英語が喋れるということで海外でのプロジェクトメンバーにも入れてもらったりしていました。3年間勤めましたので、当時の宇宙飛行士の応募条件である「自然科学系分野における研究、設計、開発、製造、運用等に3年以上の実務経験を有すること。」に該当するのかな?と思ったり、いかんいかんもうこの夢は諦めたんやって思ったりしていました。

就職前に旅行で訪れたニュージーランド(NZ)のレイクテカポという街で、星空ガイドの仕事に出会い、ずっと憧れていました。和歌山での就職を余儀なくさせた家庭の事情も解決しておりましたので、仕事を辞めてNZに移住することを決意。

宇宙飛行士とはあんまり関係ないのでこの辺はさらっと。

 

NZで星空ガイド&惑星研究

2013年から2017年までNZで星空ガイドとして暮らしていました。星空の魅力を一般の旅行者に伝える仕事は我ながら天職だと思いますし、今回の宇宙飛行士の要件である発信力はかなり身に着いたかと思います。

また、星空ガイドの傍ら、日本とNZが共同で研究しているMOA望遠鏡の観測員として天文台で勤務する機会をいただきました。研究の目的は系外惑星の発見という夢のある研究でしたが、望遠鏡の操作を覚えたり、昼夜完全逆転の生活など大変なことも多かったです。

ただ、このように新しい技術や知識を身につけるという作業は宇宙飛行士であれば常に行っていることでしょう。この頃には、心の奥底にしまった宇宙飛行士という夢に対して、自分自身も「まぁチャンスあったらいったろかな」ぐらいの気持ちは持てるようになっていました。

 

再び和歌山に戻って起業

2017年には和歌山に戻り、星空ガイドとして起業しました。毎晩星空ガイドをする中で、参加されたお客さんに「宇宙飛行士にならないんですか?」と聞かれることもありましたが、なんとなくはぐらかしていました。宇宙飛行士を目指すということがどういうことなのか知っているから。簡単に「目指しています!」とは言えなかった。

ちなみに、和歌山に戻った年に第一子が産まれました。起業と子育ては「常に予測不能な事態が起こる中で、出来うる限り事前にその対策を立てて準備を怠らない」という点で、宇宙での活動にそっくりだと個人的には思っています。

 

宇宙飛行士候補者の募集開始

和歌山に戻ってからもコロナがあったり、大学院に入学して星空観光を研究したり、あれやこれやしているうちに始まったのが今回の宇宙飛行士選抜試験。大学3年の春に心の奥底にしまったはずの夢。(ちょくちょく顔は出していたけどね)

ツアーに参加したお客さんに対してはぐらかしたり、「本気で目指してないし」って自分に言い訳したり、和歌山での就職を決めて以来、自分から宇宙飛行士になりたいと言ったことはただの一度もなかったけども、でもやっぱり「宇宙に行きたい」という本心を抑えることはできなかった。自分自身を取り巻く環境がどうであれ、本心がどうなのかっていう思いには敵わないんやと気づいた瞬間でした。

そして、あの時一度諦めたからこそ、NZへの移住も起業も子育ても経験して、おそらく一途に宇宙開発の仕事に就いていた自分よりもより多くの経験値を積んで、自分の人生ではこれ以上ないつよつよ状態で今回の試験に挑めるんや!っていう相変わらずのポジティブ思考で今回の応募を決めました。

 

夢の時間をありがとう

エントリーした後はSNS等で宇宙飛行士の試験に挑戦していることを公表しました。想像以上に周りのみんなが応援してくれて、改めて「宇宙飛行士」という夢の凄さを知りました。

結果、書類審査と英語試験は通過しましたが、0次試験は通過できませんでした。エントリーする際の文章を作成している時間も含めて、各分野の勉強も体作りも、すべては宇宙飛行士に繋がっていると思うと本当に夢のような時間でした。改めて、宇宙飛行士の選抜試験は今まで生きてきた人生が丸々試される試験やなって思いました。

一度はあきらめてしまったけど、本気で一途に宇宙飛行士を目指していたあの頃の自分に対して、少しは責任を果たせたというか恥ずかしくないぐらいの勉強はできたと思います。

 

究極の星空ガイド

私が宇宙に行ってやりたいことは、「宇宙からの星空案内」です。これは星空ガイドとしての究極の目標かなって思ってます。これからは宇宙旅行の時代がやってきます。今は旅行で和歌山に来た人たちに星空案内していますが、究極形として旅行で宇宙に来た人たちに星空ガイドをしてみたいと思っています。地球との見え方の違いとか面白そう。

今の自分の状況でどうすればそれが実現できるのか、なかなか具体的なアイデアは浮かびませんが、やりたい!と言わなければ絶対実現できないとも思っているので、とりあえず言っておきます。

 

最後に、今回宇宙飛行士選抜試験にエントリーした4,127名の方にはそれぞれのストーリーがあるかと思います。他の方々がどんな思いで今回の試験に応募されたのか、もし差し支えなければ知りたいです。どんな形でもいいので、読んだり聞けたら嬉しいです。